老人福祉センタ-にいって思った事

 去る8月1日~3日間の期間中私は自分にとってとてもすばらしい体験をしたと思います。そしてその体験こそが私自身の必要とするものをみつけてくれたのです。
8月1日~3日間の期間中私は、はごろもサマ-キャンプという中、高校生を集めて二泊三日間共に生活しながら、老人福祉センタ-でお年寄りの世話をする仕事をしました。
その仕事を無事終えて見て、今私が思っていることは、老人たちはとてもさびいし思いをしているだろうということです。私が二泊三日間で出会ったお年寄りはほとんどが身内が亡くなっていなくなってしまった人やあるいは、 身内の人がいたとしても面会に来てくれない人がたくさんいました。
 家族の写真を大事そうにヘッドに飾っているおばぁさんや、私のことを自分の身内の人だと思って私に「元気だったね」などと身内の人の名前を口走っていた人もいました。それほど家族が来るのをずっとずっとまっていねのに、面会にくる人は 二~三人ぐらいしかいませんでした。いっもいっもベッドで寝たきりで私に話しかけたいようだけど言葉がでなくて「あ~あ~」とずっとさけんでいる人もいたのです。
 それほどまでに誰かがくるのをずっと待って、話しかけてくるのをずっと待っているお年寄りが多くいました。
 今、高齢化が急激に進んでいる中で私達は一体お年寄り達になにをしてあげればいいのでしょう。お年寄りはただ私達がいることで、とても喜んでいるのです。しかし私達はそのお年寄り本当に真心で接しているでしょうか。
 私は最初自分では何もできずにヘッドで横たわっているおばぁさんを見て私もこんな人にだけはなりたくないとふと思ってしまったのです。しかしそれはそのおばぁさんに対してとても失礼なことを考えてしまったと思いました。
施設の人たちは、お年寄り達を元気にさせてぬげて少しでも長生きさせてあげようと思って一生懸命がんばっているのに私はそれを悔辱したんだと思い後になってどうしてあんな事を考えってしまっただろう。なりたくてなったわけでは ないのにと後悔しています。  このように私も含めていろいろな人がとょつとでもお年寄りの人達に対して失礼なことを考えている人が多くなっているそうです。だから今年は亡くなった老人がいたとすると、その人の遺産目的で自分は身内の者だといってうそをついて そのお年寄りの遺産をぬすむ人が多くなっているそうです。私はたとえ、その人のように遺産をだましとろうとして身内だとうそをつくわけではないけれど、お年寄りに対してとても傷つけるような事をしたと言うことにはかわりません。だから私は そのお年寄り達に償うというか達で寄付したいと思います。この私の考えは、ただ悪いことをしたからつぐなういう訳ではなく私自身が誰かに必要とされている人間かを知りたいことでもあります。
 私はこの頃思うのです。私は本当にこの世の中にいてもいい存在なのか。別に自分がいなくても世の中はやっていける。私は別に、偉い人でも何でもないんだから私がもし、死んだとしても本当に本当に心から悲しんでくれる人はいるのかと考えてしまいます。 「だから少しでも老人福祉センタ-に寄付することができればいいです。」おかしいですが生きる望みというか勇気がわいてくるのです。
 一台でもいいから車椅子が私の寄付金で買えたらその車椅子を乗る人が歩くよりもらくになります。そしてその人が老人ホ-ムに来てよかったと思えれば私はとても喜ばしいです。そして私のおかげれというと偉い言い方ですが、私がいてくれて良かったと思える人が いてくれれば私は今まで生きてきたかいがあると思います。最後の日にお別れ会と言うことで、リバビリ室でパ-ティ-の様な集会を開いたとき、お年寄り人達が大きな声で泣き出したのです。そして「ありがとう、ありがとう」といって私の手を とつておがんでいたのです。そのとき私は自分もついなき出してしまいました。  今思うとお年寄りの人達は私のことを必要としていたのかなぁと思います。もしそれが私のことを必要としていたのなら私はそれを支えに今日もがんばって生きていくことでしょう。
 これから先長い人生が待ち受けています。悲しいこと、怖いこと、嬉しいこと楽しいこと私はそこでくじけていっそのこと死んでしまおうかと思うこともあるでしょう。しかし、この二泊三日間での老人福祉センタ-での思い出を忘れず私が必要とされる 人間になるまで、がんばっていきます。その日を楽しみに、おばぁとゃん、おじいさん、私の支えになっていて下さい。平成7年度嘉数中学校2年、「はばたき」
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野菊の墓を読んで

 あなたは、どんなに離れていたとしてもその人の事を、一日たりとも忘れずに思い続けると言った恋をしたことがありますか。
 恋というのは個人差があるもので、もうすでに始まっているもの、終わってしまった者、又まだ始まっていないもの他 それぞれだとおもいますが、一度でいいからそういう恋を、私もしてみたいものです。
 この話の主人公となる民子と政夫は、まさに、恋という者の経験者でもありました。まだ最初の頃は、ただの幼なじみといった程度のものでしか相手を見ていなかったのですが、ふとしたことで政夫の母に外出禁止をされてからは、お互いに相手に会いたいと思う気持ちが大きくつのっていくのです。
 しかし、この時代は年上の女性が年下の男性と結婚すると言うことは、非常識とされていました。だからもちろんのこと、年上の民子と政夫が結婚するというのは、許されることではなかったのです。二人で一緒にいるとすぐに嫌味な人達がよってたかって二人を苦しめ、いつしか二人もその人達の いいなりになるしかならず、まだほんの15と17の二人は、苦しい恋をしていたことでしょう。
 お互いの気持ちを知りながら、自分の相手に対する正直な気持ちを表現することができなかったのです。
「政夫さん・・・私野菊のようだってどうして。」
「さァどうしてということはないけど、民さんは野菊の風だからさ。」
「それで政夫さんは野菊がすきだって・・・」
「僕、大好きさ」
このような会話をしながらきっと、二人はお互いの気持ちを確認しあっていたのでしょう。そして、相手のことを信頼し、誰よりも信じ切っていたと思います。 しかし、今はどうでしょう。年上と年齢に関係なく人を愛することはできます。 しかし、私達は、その自由気ままで豊かな時代に当たり前のように暮らしている為に、自分のことばかり考えてしまい、他人のことを信頼し、愛すると言うことができなくなりつつあるように思います。たとえば、財産目当ての結婚、そして、今、騒がれているテレクラや援助交際他です。自分のストレス解消や金銭手間な関係で 好きでもない人と結婚したり、相手をもてあそぶのです。それが、どんなにさびしいことでしょう。そして、それらが増えているというのも残念です。
 人を愛せなくなると言うことは、自分をも愛せなくなるでしょう。民子と政夫のように、どんなに離れていてもお互いに思いやり、励まし合って、相手の支えとなることができれば、相手も自分に対し、深い愛情をそそいでくれるとおもいます。生きるというのはそういうことです。誰も、自分一人でなんて生きれません。又、 お金がどんなにあろうとその人が幸福であったかは補償できません。大事なことは、自分一人で解決しょうとせずに、他人をもっと信頼して、喜びも悲しみもみんなで共感していくことだと思います。
 あんなに愛し合っていた民子と政夫は、結果的にはむすばれることはありませんでした。しかし、彼の心の中には、ずっと死んでいった民子に対する思いが、あの頃と変わらないであることでしょう。きっと、二人は最初から、運命で結ばれていて、それをどんなに周りの人々が振りほどこうとしても、振りほどくことはできなかったと思います。 それほどまでに、二人のはぐくんだ愛は、かたいきずなでむすばれていました。
 私もいつしか野菊の花のような人になりたいです。しんでもなおその相手の心の中で生き続けている民子のような質素だけれども可憐な女性になりたいと思っています。
 まだ恋と呼べるような体験は、何一つしてない私ですが、これっから先、。ずっと生きていく中で、いろんな体験をして、少しずっでもあの二人の様な熱い恋を経験していきたいです。
 この本を読んで、私は民子と政夫の深い愛を、少しだけでも肌で感じることができました。それは、切なく悲しいものでありましたが、これほどまでに人を好きになれるのかという感激と感動でいっぱいです。人をおもいやり、その人の支えとなることで、自分自身もみがかれ、輝くことができるのだということをあの物語の中の二人から教わりました。
「政夫さんは野菊がすきだって・・・・・」
「僕、大好き・・・」
1997年・高校1年

美和子の作品
中学時中学時

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