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FM放送・平和の礎について
2022/6/30
 その時間は、嘉数中学校区民生委員児童委員協議会の会長さんをパーソナリティーに宜野湾市に関わるゲストをお迎えしながら民生委員・児童委員の役割を知ってもらう番組です。
 こんにちは!「民生委員の時間」になりました。今日が307回目になります。もう6年経過しました。今日は6月30日で、沖縄の「慰霊の日」が先週終わりましたので、まとめながら「沖縄の平和の礎名前を読み上げる集い」の反省もしながら、来年どうするか、係の方から話を聞きたいと思っております。この番組は民生委員を宣伝する取り組みで持っている番組です。特に、宜野湾市に関係する福祉・健康そして地域活動の状況を皆さんに知ってもらおうとことで持っている番組になります。
 毎年6月は沖縄では慰霊の日があって、特集のつもりでその関係の話をしながらきております。今年は「沖縄平和の礎名前を読み上げる集い」実行委員がありましたので、これを取り上げました。そして読む人も24万名ということで、6月12日から23日まで継続して読み上げをしており、毎日、9時から深夜の3時頃まで継続してやってるみたいです。それでどうにか2週間で241632名という記載されている名前を読み上げて終わったわけです。24万名の名前を呼ぶというのを電波に乗せるというのは非常にも大きな仕事じゃないかなと思っております。私達「慰霊の日」というのは、沖縄で戦争が終わった日ってことです。県外より2ヶ月間ぐらい前に終わった状態なんですが、その中でも24万名の中で、過半数が住民の犠牲になっております。現在戦争がウクライナでもあるんですが、戦争で被害になるのはそこに住んでいる住民であることがよくわかります。多分沖縄の状況もそうだったんじゃないかなと思います。私は戦争というのは、政治家が作った一つの事件だと思うんです。いろんな状況によって戦争になってしまうという状況があります。それゆえ戦争を終わらすのも政治家なんです。それを今度のウクライナの戦争を見ても、今プーチン大統領が戦争を始めて行ったんですが、いろんな理由で、現在まで4ヶ月間、続いております。それもプーチン大統領がもう戦争はやらないとやればすぐ終わるわけです。それができないというのが国際的な状況によって、できない条件があるんじゃないかなと思います。だから現在の政治家は、自分に関係ないというのでなくて、政治家が起こした事件が戦争なんだとことを十分考えて政治をやってほしいと思います。
 今日は事務局の方から係の方がゲストに来ていますので、まずは自己紹介の方からお願いします。よろしくお願いします?
 私はこの「平和の礎の名前を読み上げる集い」の会事務局でした宮城千絵と申します。「 YouTube では歌って踊れるプリティちえちゃんっていうアカウントで是非チェックして見て下さい。そしたらこの番組は307回民生委員のプログラムとして持ってると驚いているし素晴らしいなと思っています。私も高校に勤務していた時に、中途退学対策係っていうのした時に、授業に行くのではなく、学校に来れない不登校のどこかに行ってる子供達を探して、この子たちを学校に繋いでいくってお仕事してたんですけど、その時に民生委員の方にとってもお世話になったんですよ。この家庭だけでは大変で、成長期の多感な子供達をなんか、民生委員の方々が本当にその家庭の保護者の皆様やその本人たちに声かけをしてくださるこの活動っていうの本当にありがたかったです。もう西原町、浦添市色んなところの皆様にすごくお世話になりました。お礼を言いたいと思います。本当に学校側としては民生委員の力は、この地域の力はすごく大きいと思っています。
 私たち民生委員は、基本的には高齢者に対して、見守り、声かけがあって、そしてもう一つは民生委員と同時に児童委員も兼務しているんです。そうすると児童の生徒に対しても、地域で安全で安心できるように声かけ見守りをしてるわけです。そんなに大きな仕事をしているわけではなくて、誰がもできることをボランティアとしてやっているというのが民生委員なんです。
 ほんとうに尊敬しています。基本的には学校にも関係してくるし、地域の自治会にも関係してくる、また地域が使ってる役所だとか、社会福祉協議会の方にも関係する仕事をして、この放送でもいろんな人を招待して話を聞いたりしています。そのような仕事をしている企業さんだとかNPOさんといっぱいあるんですよ。だから今回は、「平和の礎の名前を読み上げる集い」とことで、その方を取り上げてきたというだけです。
 本当に組織があったのではなくて、あの24万っていう人たちが生きてたということで、一人一人の名前を読み上げたいって思ったことから始まったのです。本当に事務局は、最初は沖縄側事務局3名と実働部隊ですね、東京が二人とまた一緒にやる仲間たちが増えていったと次々と大きくなったいう感じでした。思うの本当に地域の力って大きくて、例えばあの場合ズームでバトンタッチやって行くんですけど、ズームの操作ができない子供たち、お年寄りの方等に対して、やっぱりその地域の力がある所は読谷とかバット集まってその地域力でできました。普段からの学校で草刈りをしてる人とか、学校で平和語りをしてる方とかが中心につないでるんです。だから「 FM 読谷」もそうだし、村長さんも一気に一緒にやろうっていう形になったのです。オープニング・セレモニーを読谷でやるって形になって、読谷高校も入ってくるし、地域の人も入ってくるっていうことで、地域の力を感じました。また名護のやんばるの方でも、久志の方がセタケとかが久志支所に集まって、本当に小学生から高齢の方まで来て読み上げを家族のようにやってる姿とかも、すごい微笑ましくて、やっぱりこの「平和の礎」ができたのも、やっぱり沖縄県の県民の持っている力だと思うんです。けれどそれがまた今回もすごくその力を感じました。
 そうですね、沖縄は1/4ぐらいの人が戦争に関係していますので、自分が 苦労したっているのがあるんです。それでそのようなことを礎に名前書いてあるけれども、これは単に書かれた名前じゃないよ。身内であるし、友人であり、一緒に逃げた人たちだと思うんです。そうすると名前を読むことでその時を振り返っているんじゃないかなあと思うんです。だからあの名前を書かれた人達は、現在は礎になっているけれどもやっぱり読むことで息が入ってくると。今後の未来につなげる人たちなんです。僕は地域が協力したのは、全てそのような共通の理解があって、戦争を二度と起こしていけないという大きな目標に向かって、やってるんじゃないかなと思う。これはもう思想的な問題でなくて、やっぱり生活の中から来た一つの連帯じゃないかなあと思うんです。私たちは、何かに繋がっていかない限り、私たち一人一人が個人なんです。だからそのような大きな礎という行事を通して、更に将来に向けての社会をどのように作っていくかという意味で非常に大事じゃないかと思います。
 特に礎を読むことで、水曜日の昨日の新聞なんですが、12日から始まった、平和の礎の読み上げるツアー中で、西原中学校の方で、生徒596名が参加しているんですよ。そして、一人一人が10名ぐらいを読んで、バトンタッチで、やって6290名の名前をリレーで行ったいうのが新聞にありました。西原中学校の校長先生非常に大きな力があった。これも平和学習の中の一環として捉えて行ったというのは、今後の他学校でも応じて自分のところは自分でやると意識でやっぱりやって欲しいなあと思います。来年に向けてのことがあるわけです。沖縄には各自治会にも慰霊碑があるんです。すべて600個で部落の慰霊祭をもって、その地域慰霊祭には戦争で亡くなった人たちを祀って平和を願うということです。そうすると碑に書かれている市町村だとか国だとか県には、必ず誰かいるわけです。だからその人たちに読んでもらった方が、この人たちも助かるし、礎に書かれた人たちも、身内が読んで助かるんじゃないかなと思うんです。
 今後来年に向けてなんですが、事務局で話ししてることはどんなことですか?。
 西原中学のことですが、スタートした頃、呼びかけの時に西原中学校が真っ先に手を上げてきたんです。私達とっても嬉しくて本当に感動しました。西原中学校として全校生徒でやりたい案を作ってきたんです。すごいと思って実施日に私たちも行ってみたんですけど、友寄ゆかり校長先生とっても美人なんですけど、その美しい女性の校長先生とそのまた平和教育担当と言うかその発案者が久場さゆり先生で、この企画を新聞で見た時に絶対に生徒たちにさせたいっていうことで、すぐ案を考えてみたいなんです。放送の本番も行ってみたんですけど、先生方の団結力があって、生徒にもいろんな子がいます。すごいシャイな子、ちょっと学校に行くのを渋る子がいてそういう子供達に対しても、すごいなんて言うか、一人一人がキラキラ輝くようにして。その子の得意なところで、ピアノの上手な子はずっと一人でピアノ弾いているし、また後ろに平和の絵を書かせてみんなに見せたり、だからみんなが最初の一日目は、2年生だったら他のクラスの生徒は鶴を折ったり、読み上げの様子をスクリーンでみせたりとか、龍ポンっていう新聞で体験者の勉強をしたり、本当にみんなが協力してこれが出来たと思いました。こんなことはどの学校でもできるんですよね。
 現在、学校の場合は平和教育をどうするかってことで、先生方の体験を語る。また戦争を体験した人の公演を聞くことだったが、この読み合わせをするというのは、直接子供たちが体験することなんです。最初は何で読んでいるかわからないと思うけれども、この平和の礎の祈りに行ったり、また話を聞いたりして、体験談をお話ししたり、戦争を逃げてきた人たちの体験談を聞くことで、自分が読んだのが、これだったんだなぁとふと理解できるようになるだろう。
 やっぱりこれは、県の教育委員会も考えて欲しいんですが、平和教育の一つのプログラムの中に入れていく。沖縄の全ての生徒が体験する。平和ということを将来につないでいくという継承の面でも非常に良い行事だったなーって思うんです。また来年にも続いてくるとは思うんですが、事務局の方でボランティアを募集していますので、それについて何時頃から具体的にやるのかですね。
 来年に向けては、今参加人数の1500人を超えてるんですけど、本当に現実的?では実際何名が参加したか、これからの反省をしようと思っていて資料を集めて、関わった人で出来るだけの総括と言うかやって、これから第2回には、どんな形が一番望ましいのか、どころまでまとめて、県がやるのか、今回ように、手持ちでやった方がいいのか、各自治体が、今回与那原町が独自で行ったりもしたけどそういう形がいいのか、今みたいなボランティア実行委員形式がいいのかとか、いろいろなことをこれから議論、検証をした方がいいと思うんです。どの方法が一番望ましいかって言うのこれから考えていきたいと思っています?。
 まあそうですね、最初のスタートですので、いろんな問題ありと思うんです。しかし一つの行事経過として、非常に大きな成果があったんじゃないかなと思います。是非これから継続して行けるような方法を考えて欲しいなと思う。ただ県を主催にしていくと、ボランティアの概念がなくなるんです。僕としては、これまで同様にして、県は後援になって、実行委員でボランティアを集いして、そして本当にボランティアの独自の方法で、いろんな方法あると思ってやってほしいなと、現在の西原中学校のこと話ししたんですが、名桜大学でもあったし、北海道の遺族の参加もありましたし、そうです、海外からもハワイ、アジアやアフリカからもありました。だから、独自の方法を取りながら、県の方には経済的な支援を求めながら後援に入れていくと行った方が、本当の意味で体験するという形ができるんじゃないかなと僕は思うんです。だから、今回の実行委員形式のやったというのは非常に良かったなと思うんです。何て言うかボランティアでやるって言うのは、手持ち弁当でやってるわけですよね。金もかかるし、それをやっぱり行政の方が、補助していく方法を取れば、いつまでも続ける形の恒久的な実行委員を作って、または NPO に格上げして、いけば、直接自分らが関わってくるという方法が出来てくるわけで、やり方も色々な方法も取れると思います。
 そうですね。みんな仕事を持ちながらのボランティア活動なので、今クラウドファンディングも、あと応援チケットもまだ続くけれど、そういうことではしっかりと、本当に思った以上の素晴らしい、いろんなドラマが生まれてきたのです。
 最後の日の22日には、「慰霊の日」の前の日は向陽高校生が、テスト最終日にもかかわらず60名以上の生徒が参加してきて、暑い中一生懸命読み上げをしていた。引率の上江洲先生と直子先生だったんですが、直子先生は涙を流しながら、生徒たちの様子を見ていて、本当に感動的でした。最後のクロージングもセレモニーも、あの平よしのさんが「平和の願い」を歌い、そして伊波こうえい さんが「カンポ―のケーヌクサ」を歌って、また宮城みさきさんと辺士名直子さん大城健太郎さんが「アクアクロー」で「平和の想いを世界へ」ということで発信してくれて、町田直美さんが、今日仕事で来れないんですけど、平和宣言をしたいんですけど、これがあの太田先生、前の知事「平和の礎」を作る時の平和宣言なんですけども、素晴らしい内容で、もう本当に涙ながらに町田さんも読んでたんです。
 沖縄だけじゃなくて本当に世界につながる「平和の礎」なんですが、本当に平和を願う「慰霊の碑」でもあるけど、もともと作られたのは「記念塔」として二度と戦争が起こらない世の中にしようというものなのです。今年もこんなカウントで終わりました。
 最初の「平和の礎名前を読み上げる集い」ことで終わったんですが、課題もいっぱいありますね、来年に向けてまた、もっといい方法でやれれば非常に良いなと思います。今日は時間もちょっと25分ぐらいしかなくて、もっと細かいところを聴きたかったですが、後ほど、時間があったら、また皆さんが出した反省の結果を、この放送でも流してみたいなと思います。以上で終了します。放送局の皆様に感謝しています。ありがとうございました 。イッペーニヘディビル!
        平和の礎(摩文仁の丘)


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